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2023.3.12 / コラム

【五月人形】人気武将の種類を紹介!鎧や兜にプロフィールも!

お子様の健やかな成長を願い五月人形は贈られます。大切なお子様の頭部や胴体を守り、生まれてきてくれてありがとうの気持ちが込められた鎧や兜。そんな五月人形には、どんな武将の鎧や兜があるのでしょうか。こちらの記事を読んで、その時代を生きた武将と一緒に素敵な五月人形を探してみましょう!

五月人形として兜を飾る意味は?

長い武家社会の中で、鎧や兜は男子にとって非常に大切なものでした。

戦の道具というイメージが強いですが、武士にとって鎧や兜は「自分の身を守る大事な道具」でありお守りのような存在でした。

現代でもその精神を大事にしたのが、五月人形として鎧や兜を飾る習慣です。

鎧や兜が身を守ってくれ、無事に成長し、強く立派な男子となりますように、というような願いが込められています。

兜の構造と各部名称

兜はいくつかのパーツが組み合わされて作られています。

それぞれのパーツをみていきましょう。

  • 立物(たてもの)

兜の「立物」(たてもの)とは、「眉庇・目庇」(まびさし)や「鉢」(はち)に立てることで、兜を装飾すると共に、着用者の威厳を示して存在感を誇示する物の総称です。

デザインは動物、植物や器物などをモチーフにした立物や、信仰に根ざして日や月を象った立物がありました。

材料も鉄、銅、金、銀、真鍮、木材、竹や、獣の角、牙、皮革など様々です。

立物は、立てる位置によって「前立」(まえだて)、「頭立」(ずだて)、「脇立」(わきだて)、「後立」(うしろだて)に分かれます。

これらは自己顕示のためや、戦場における味方同士の目印としても用いられました。

  • 兜鉢(かぶとばち)

兜鉢とは頭部を覆う部分です。

形状によって大きく分けて4つの名称があり、頭の形に沿った頭形(ずなり)兜、筋のようなラインが入った筋兜、桃のようにカーブを描いた桃兜、全体に尖った凹凸のある星兜という4種類があります。

  • 吹返し(ふきかえし)

兜の左右にあり、「刀が当たらないように顔を守るため」「甲冑師の細工技術を披露するため」という目的がありました。

  • 錣(しころ)

兜鉢の後方に取り付けられる板のことで、刀や矢から首筋を守る目的で活用されました。

取り付けられる板の枚数によって呼称がことなり、3枚の場合は3枚兜、5枚の場合は、5枚兜と呼ばれました。

  • 目庇(まびさし)

目庇には「雨や日差しを遮る」「刀から額を守る」という2つの目的で取り付けられました。

取り付けられ方によって3種類あり、鉢に板金を鋲留めした「付眉庇」、鉢から斜め下方向に突き出た「出眉庇」、垂直に突き出た「直眉庇」があります。

  • 面頬(めんほお)

面頬には「顔を隠すことで相手を威圧する」「刀から顔を守る」という2つの目的があります。

覆う面積によって呼称が異なり、顔全体を覆う「総面」、鼻から下を覆った「面頬」、顎のみを覆う「半頬」、額から頬を覆う「半首」があります。

好きな戦国武将やゆかりの地で五月人形を選ぼう

五月人形には戦国武将をモチーフにした人形がありますが、どれを選べばいいか迷う人は、その武将の功績や性格のように育ってほしいという思いを込めて選ぶのもよいでしょう。

もしくは、子どもの出身地にゆかりのある戦国武将を選ぶのもいいですね。

お気に入りの戦国武将を見つけて五月人形を選んでみましょう。

徳川家康 (1542~1616)

もとは松平氏。幼少時は織田家、次いで今川家へ。

名は、今川家時代に義元より一字をもらい元信、次いで祖父である松平清康から一字をもらい元康とする。

桶狭間で義元が討たれた後、今川氏と断交し、信長と同盟を結び、各地を転戦。名も「家康」と改め、1566年末「徳川」に改姓。

豊臣政権下では、五大老の1人として活躍。

関ヶ原の戦いでは石田光成らを破り、その後、江戸幕府を開く。

大坂の陣に勝利後、以降約250年続く徳川の世を盤石なものとする。

伊達政宗(1568~1636)

「独眼竜」の異名がある。

家督相続後、わずか5年で南奥州を制圧するが、天下統一を進める豊臣秀吉による小田原北条氏攻めに参陣。

関ヶ原の戦いでは、徳川方として、石田方に付いた上杉景勝の重臣直江兼続が隣国最上氏の長谷堂城を攻めた際、援軍を送る。

戦後、家康より仙台藩62万石安堵される。

またスペインとの貿易を計画し、家康の承認を得て、支倉常長らを慶長派欧使節としてスペインやローマに派遣している。

上杉謙信(1530~1578)

はじめは長尾景虎。後に関東管領山内上杉氏の名跡及び、関東管領職を継承し、上杉氏と改姓、名前は政虎、輝虎、出家し謙信を名乗る。

上杉謙信は本国である越後国(現・新潟県)は戦国期、湿地帯ばかりで十分な穀物が取れなかったため、日本海に面した直江津などの港湾を支配し、麻糸の原料である青苧(あおそ)の貿易で莫大な軍資金を得ており、商業に目を向けた近代的な武将で

「海の謙信」とも呼ばれる。

豊臣秀吉(1537~1598)

木下秀吉の名が一級史料上にに見えるのは1565年が初見である。

織田信長譜代の重臣柴田勝家と丹羽長秀より一字ずつもらい、姓を「羽柴」とした秀吉は、信長の重臣の一人として中国地方の攻略を任され、対毛利戦線で優位に立つ。

本能寺の変後、いち早く明智光秀を討ち、信長の後継者の地位を固め、その意思を継いで天下統一を果たす。

太閤検地・刀狩りなどの政策が有名。

幼い秀頼を支えるため、有力大名で構成された五大老(徳川家康・前田利家・毛利輝元・宇喜多秀家・上杉景勝。輝元の祖父である小早川隆景も同様の地位にあったとされる)と五奉行(石田光成・浅野長政・増田長盛・長束正家・前田玄以)の合議制による政治運営を目指し、豊臣政権の安定化を図る。

真田幸村(1567~1615)

「幸村」の名はあまりに有名だが、実名は「信繁」である。

関ヶ原の戦いでは、別動隊として中山道を進む徳川秀忠率いる大軍を信濃(現・長野県)上田城で迎え撃ち、足止めに成功するが、関ヶ原では石田光成方が敗れたため、父昌幸とともに高野山へ。

大坂の陣で大活躍をし「真田日本一の兵(つわもの)」と称賛された。

本多忠勝(1548~1610)

徳川四天王の一人(他に井伊直政・榊原康政・酒井忠次)として家康を支えた。

生涯に50回以上戦場に出たが、かすり傷一つ負わなかったと言われる。

武田家の将兵に「家康に過ぎたるものが二つあり、唐の頭に本多平八」と言わしめるほど、本多平八こと忠勝の武勇は敵方にも鳴り響いていた。

直江兼続(1560~1619)

非凡な才能を見込まれた樋口兼続は、上杉謙信の養子景勝(後に上杉家を継承)に仕えるようになる。後に上杉家重臣直江家を相続して「直江兼続」を名乗る。

豊臣政権の五大老の一人となった景勝を軍政面・民政面で支える。

関ヶ原の戦いでは、石田光成に通じたため、上杉家は存続の危機に陥るが、兼続の奔走で家名存続に成功する。

武田信玄(1521~1573)

武田晴信(出家して信玄と名乗る)は隣国信濃国(現・長野県)をほぼ領国化するも、それに危機感を抱いた越後国(現・新潟県)の上杉謙信と川中島地方で数度にわたり戦う。

近年、信玄の信濃出兵の大きな理由の一つとして、当時の甲斐国(現・山梨県)はあまり穀物が取れなかったため、初夏の麦類が稔る時期か、稲が収穫される次期に出兵が集中し、現地でそれらを刈り取ってくることが挙げられている。

前田利家(1537~1599)

若い頃は信長のもとで槍を持って戦で手柄を立てた「槍の又佐(またざ)」。派手な格好を好み、かぶき者と呼ばれる。

また、豊臣秀吉とは、その頃から親しい間柄であった。

秀吉の天下統一戦に参加し、小田原北条氏攻めでは、北国勢大将を務める。

豊臣政権下では五大老の一人となり、同じく五大老の徳川家康も一目置く存在で、まだ幼い秀吉の子秀頼の補佐人を任されるなど、秀吉からの信頼は厚かった。

源 義経(1159~1189)

幼名は牛若丸。

当時、奥州で繁栄していた藤原氏の保護を受け成長。

兄である頼朝が平家打倒の為挙兵すると、これに参戦して一の谷、屋島、そして壇の浦での源氏方の勝利に貢献。

ちなみに一般にこの一連の源氏と平家の争いを「源平合戦」というが、その争いの中に同族である源頼朝と源(木曽)義仲の争いもあり、必ずしも氏族間の争いではないため、近年では当時の年号をとり「治承・寿永の乱」といわれる。

源 義家(1039~1106)

別名八幡太郎。

後の武家政権である、鎌倉幕府を開いた源頼朝や、室町幕府を開いた足利尊氏の祖先にあたる人物である。

奥州の実力者である、清原氏の相続争い(後三年の役)に陸奥守として介入し、奥州藤原氏三代の初代となる清衡を助けて、源氏の信望が東国で高まり、武家の棟梁の地位を確立させる。

後に院への昇殿を許され、時の右大臣藤原宗忠は「義家朝臣天下武勇の士なり」と日記につづっている。

人気武将の種類まとめ

いかがでしたでしょうか。ほかにも武将の五月人形はいくつかございますが、代表的なものをいくつか挙げさせていただきました。

お気に入りの武将は見つかりましたか?

その時代を一生懸命に駆け抜けた武将が同じデザインの兜を身に着けていたと思うとロマンを感じますね。

皆様も素敵な五月人形と一緒にお子様の健やかな成長をお祝いしてみてはいかがでしょうか。

当店では人気武将の五月人形も展示しております。お気軽にご相談くださいませ。

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