映水BLOG

2023.4.19 / コラム

五月人形と鯉のぼりは両方飾るべき?飾る意味や由来を知ろう

端午の節句には、五月人形や鯉のぼりを飾って男の子のお祝いをします。

五月人形と一緒に菖蒲(しょうぶ)を飾ったり、たけのこご飯や柏餅など伝統的な節句料理を食べたり、菖蒲湯に浸かったりといった風習が残っていますが、これら一つ一つにはすべて意味があります。

女の子のお祝いをする雛祭りには、両親が女の子の健やかな成長を願って雛人形を飾ります。

では、端午の節句には、どうして五月人形や鯉のぼりを飾るようになったのでしょうか?

五月人形と鯉のぼりは両方飾る方が良いとされていますが、なぜ両方飾る必要があるのかと疑問に思っている人もいらっしゃるでしょう。

そこで、今回は五月人形と鯉のぼりの特徴を解説するとともに、近年の住宅事情に合わせた鯉のぼりの取り入れ方について解説します。

内飾りと外飾り

端午の節句に飾る五月飾りには、「内飾り」と「外飾り」の2種類に大別されます。

ただ、地方によっては内飾りだけ、外飾りだけの風習のところもあるようです。

外飾り

外飾りとはその名の通り、「鯉のぼり」や「武者絵幟(むしゃえのぼり)」など、屋外に立てて飾るものです。

庭にポールを立て空にあがった「吹流し」の下に黒・緋・青の鯉が泳いでいる鯉のぼりは皆さん馴染みがあるでしょう。

鯉のぼりは、もともとは「節句のぼり」という名前だったのですが、「源義経」や「加藤清正」などの武者の絵が描かれることから「武者絵のぼり」という通称になりました。

「のぼり」というのは、細長い旗のようなものです。

しかし、実際は武将だけでなく「川中島の合戦」などの有名な合戦や、鍾馗などの武者絵のぼりがあります。

鍾馗は魔除けや学業成就の願いを込めて飾るもので、他にも屏風や掛け軸に描かれたりしますが、端午の節句の飾り物としては「武者絵のぼり」と人形の形をした「鍾馗像」があります。

鯉のぼりは、近年の住宅事情に合わせコンパクトになりつつ全国的に飾られています。

一方、武者絵のぼりが飾られる地域は、鯉のぼりと比較すると多少地域が限られ、特に山梨・長野・高知・九州などでよく飾られているようです。

内飾り

内飾りとは、室内に飾るもので、通称「五月人形」という名称でくくられるお飾りのことです。

五月人形には「甲冑飾り(鎧飾り・兜飾り)」や「武者人形(子供大将人形・童子人形)」などがあります。

内飾りの五月人形は、子どもの健やかな成長を願って室内に飾ります。

武士の防具であった鎧や兜を飾ることで、大切なお子さまを災厄から身を守ってくれるお守りの役割を果たします。

鎧甲冑は武士が戦いのときに身に着けたもので、雄々しいイメージから、昔からお祖父さま方やお父さま方からの支持が高いです。

少し大きくなった男の子には、着用型の兜飾りに陣羽織がセットになったものが人気があります。

五月人形と鯉のぼりの由来

五月人形と鯉のぼりを両方飾るのが良いといわれている理由は、両者の持つ意味合いの違いにあります。

以下にて、それぞれの特徴について知りましょう。

五月人形の由来

「端午の節句」は、古代中国の「陰陽五行説」に基づいた「邪気払い」に由来します。

日本では奈良時代から宮中で「端午の節会(せちえ)」をするようになり、その時期には厄除けのために「菖蒲(しょうぶ)」を飾ったり、薬草をつんでつくった「薬玉」を贈り合ったりしていたといわれています。

日本の端午の節句で五月人形を飾ることが一般的になったのは、江戸時代です。

もともと端午の節句には菖蒲を飾っていたのですが、武士の間では菖蒲の葉を刀に見立てて飾ったり、「菖蒲」という言葉を「勝負」や「尚武(しょうぶ:武を重んじる)」とかけて、端午の節句を「菖蒲(尚武)の節句」と呼び始め、武士にとって大切な節句と考えるようになりました。

当時の武家社会では、戦に使う「鎧」や「兜」などの武具は非常に大切なものでした。

梅雨に入る前に武具を出して屋外で虫干しをする習慣と同じ時期だったこともあり、そこから端午の節句に鎧兜を飾って跡取りの男の子のお祝いをするという風習が生まれたといわれています。

はじめは外に飾っていた武具ですが、その後小型化し、現在のように室内に鎧兜を飾るようになったのです。

武具は戦いの道具ですが、鎧や兜は身を護る大切な防具でもあります。

大切な子どもを守ってくれるようにと願いを込めて現在でも五月人形を飾るのは、このように武家社会文化の名残りなのです。

鯉のぼりの由来

一方、端午の節句に揚げる「鯉のぼり」は、江戸時代の庶民がもっていた「武家社会の風習へのあこがれ」から生まれたものです。

江戸時代には、将軍に大切な世継ぎの男の子が生まれると、「幟旗(のぼりばた)」を立ててその誕生を知らせ、槍や兜などを飾って盛大にお祝いをしました。

「幟旗」の由来は戦の「軍旗(ぐんき)」です。

それを受けて、武家屋敷でも勇ましい幟旗を立てて、近隣や天の神様に世継ぎの誕生を知らせるようになりました。

そして端午の節句には、家の外に「幟旗」や「槍・兜」などを飾ってお祝いするようになったのです。

本来は武具のひとつだった「幟旗」は、江戸時代に「武者絵のぼり」として発展しました。

しかし、江戸時代の庶民は武士のような武具や幟旗は持っていませんでした。

そのため、紙で鎧兜や鯉の形の幟旗を作って端午の節句に飾るようになりました。

のぼりのデザインに鯉が選ばれたのは「登竜門」の伝説に由来します。

「鯉が激しい竜門の滝を登り切ると竜になる」という話から、鯉は「立身出世の象徴」となったのです。

さらには、鯉という魚はとても元気で、どんな水(場所)でも生きられるといいます。

そういった意味合いから「子どもが元気に成長し、立身出世しますように」という願いを込めて、鯉のぼりを飾るようになったのです。

なお、鯉のぼりの上にある「吹流し」は、鯉のぼりを目立たせて神様の目に止まるようにして子どもを守ってもらうためのものです。

吹流しの五色には「陰陽五行説」で物事をうまく運ぶという意味も込められています。

今どきの五月人形や鯉のぼりは飾りやすく進化

かつては五月人形と鯉のぼりの両方を飾るケースが多く、5月5日が近づくと空に鯉のぼりがそよぐ風景をあちこちで見かけたものでした。

しかし、近年はマンションやアパート暮らしのご家庭が多くなり、大きなサイズの五月人形や鯉のぼりを飾るスペースがないという家が多くなっています。

特に昔ながらの立派な鯉のぼりは、飾る場所や収納スペースがないことから購入をあきらめる方も少なくありません。

そのような住宅事情の変化に合わせて、近頃はコンパクトなサイズの五月人形が増え、さらには五月人形と一緒に飾れるミニサイズの鯉のぼりも多く販売されるようになりました。

中には五月人形と鯉のぼりがセットになった商品もあり、気軽に両方を取り入れたい場合に便利です。

まとめ

その時々の居住環境に合わせて、現在では鯉のぼりや五月人形のサイズや飾り方も様々な種類が販売されています。

しかし、鯉のぼりや五月人形のサイズや飾り方が変わっても、そこに込められた「子どもが健やかに成長してほしい」という親から子への願いは今も昔も変わりません。

そうした願いは親から子、子から孫へと受け継がれていくことでしょう。

当工房は、江戸時代から続く伝統技術を現代に受け継ぐ人形工房です。

五月人形は、大切なお子様の健やかな成長と幸せを願い、お守りとなる日本の伝統文化です。

お気に入りの五月人形を飾り、お子様の誕生を家族で毎年お祝いしていきましょう。

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