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2023.5.25 / コラム

五月人形の由来や歴史、今の五月人形になるまで

5月5日の端午の節句のお祝いで飾られる兜飾や鎧飾、大将飾りといった五月人形は、古くから大切にされている日本の伝統行事です。

しかし、五月人形の由来や歴史についてご存知の方は少ないのではないでしょうか?

今まで何気なく行っていた、五月人形を飾る習慣にどのような歴史があるかを知ったら、新たな発見があったり別の見方ができるかもしれません。

今回は、意外と知らない五月人形の由来や歴史についてお話しします。

五月人形の由来

古くから日本では、五節句といって、季節の節目に病や災を避ける行事が行われていました。

その一つが、現在こどもの日として馴染みのある5月5日の端午の節句です。

もともと端午の節句は菖蒲を使い、厄除けとして軒先に飾る風習がありました。

鎌倉時代以降、武家社会を重んじるようになり、菖蒲という言葉が「勝負」や「尚武」とかけられることから、徐々に男の子の節句として祝う日に変わっていきました。

また、将軍家に男の子が生まれると、お祝いとして兜や鎧などが盛大に飾られました。

兜や鎧は、身を守る大切な道具であり、厄除けのお守りになると信じられていたのでしょう。

江戸時代中期以降、江戸の町では節句人形を扱う人形屋が大流行し、その後五月人形を飾る習慣が一般の人々にも浸透していきました。

そうして端午の節句には厄除けの菖蒲の他に、鎧兜や武者人形などの五月人形を飾って、男の子の厄除と立身出世を願うようになったのです。

五月人形の歴史

端午の節句の起源は奈良時代といわれています。

現代のように五月人形が芸術品や嗜好品として飾られるようになったのは江戸時代頃といわれており、時代が移り変わる中で五月人形も少しずつ変化していきました。

ここでは、端午の節句が始まった奈良時代から現代のように五月人形が飾られるようになった歴史をみていきましょう。

奈良時代~鎌倉時代

端午の節句は、奈良時代に中国から伝わってきた「陰陽五行説」が由来になり、日本に定着したといわれています。

中国では奇数を重ねた日である「五節句」の時期に邪気が近づきやすいと考えられており、五節句の一つである5月最初の午(うま)の日の端午の節句には邪気を払う行事が行われていました。

その風習が日本にも伝わり、もともと日本で行われていた厄払いの儀式と融合して定着していったといわれています。

端午の節句の由来について詳しくはこちらの記事で解説しています。

端午の節句とは?お祝い行事や食べ物の由来を紹介

しかし、端午の節句は初めから広く浸透していたわけではなく、平安時代頃までは宮中を中心に行われていた行事だといわれています。

宮中では端午の節句に菖蒲やよもぎの葉を軒先に吊るしたり、臣下の人々は菖蒲を冠に飾ったりして厄除けをしていました。

その後、時代は武家中心の鎌倉時代になり、「菖蒲」を「尚武」「勝負」と解釈するようになり、端午の節句は武家中心のお祝い行事へと変化していきます。

この頃から菖蒲を用いた厄払いの風習に加えて、男の子が誕生すると、甲冑や兜、太刀といった武具を飾ってお祝いするようになりました。

江戸時代

江戸時代になると、端午の節句は幕府において重要な式典が行われる日として重んじられるようになりました。

また、将軍の家に男の子が生まれると、幟(のぼり)や兜、鎧、槍、薙刀(なぎなた)などを立てて盛大に祝う風習が根付きました。

一般の人々もこれを真似て、紙で作った鎧兜や人形などを屋外に飾るようになりました。

次第に節句人形が流行し、雛人形に三人官女や五人囃子が登場したのも江戸時代だといわれています。

同様に五月人形もさまざまな物が作られるようになっていきます。

もともと厄払いを目的にしていたことから、中国の伝説に残る魔除け、病除けの神様「鍾馗」や、昔話として親しまれていた桃太郎がモデルとなった五月人形がよく作られていたようです。

また、子供のころから熊を投げ飛ばす怪力があったといわれている坂田金時がモデルになった金太郎も人気があったようです。

明治時代

明治時代に入ると、新政府の方針によって「五節句の廃止」が打ち出され、端午の節句は一時的に衰退します。

しかし、端午の節句はすでに人々の暮らしに深く根付いていたことから復活し、現代まで大切に受け継がれています。

明治時代には等身大ほどの大きな武者人形もあったそうで、五月人形のモデルになる人物も伝説上の英雄豪傑たちから実在の人物や童話の主人公へと変化していきます。

明治時代中期に巌谷小波の手によって古くから言い伝えられてきた民話をまとめた「日本昔噺」や「日本お伽話」が刊行されると、金太郎や桃太郎、牛若丸、弁慶など子どもにもわかりやすい人物をモデルにした五月人形に人気が集まっていきます。

それまではリアルな描写の人形が多かったのですが、徐々に子どもらしい表情の人形も多くなり、特定の人物をモデルにしていない子どもの五月人形が鎧兜を付けた子ども大将飾りも登場しました。

昭和

昭和になると武者人形の脇役として飾られていた鎧兜の方に徐々に人気が移行していきます。

それにつれて、実在した戦国武将をモデルにした鎧兜が作られるようになり、現代でも数年前からの戦国武将ブームにより、その人気は続いています。

現代

現代では、昨今の住宅事情によるものからコンパクトな五月人形が人気があります。

マンションでも飾りやすいように、段々と小さめに変化していきました。

五月人形は時代とともに変化していきながらも、子どもの成長と健康を願うお守りとしての意味は今も大切に受け継がれています。

まとめ

五月人形は時代とともに変化していっても、我が子の成長と健康を願う親の気持ちはいつの時代も変わりません。

時代の移り変わりによって、五月人形のモデルとされる人物は変化していますが、根底にある思いは後世につなげていきたい日本の文化です。

マンションに住むご家庭が多い現代では、コンパクトな五月人形が好まれています。

当工房では、場所を取らないコンパクトサイズの五月人形を豊富にご用意しております。

お気に入りの五月人形を飾り、お子様の誕生を家族で毎年お祝いしていきましょう。

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