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2023.3.17 / コラム

端午の節句とは?お祝い行事や食べ物の由来を紹介

5月5日は「端午の節句」として子どもの成長を祝う習慣がありますが、端午の節句の由来や、なぜ男の子の節句なのか詳しく知らない方も多いでしょう。

同じく5月5日は「こどもの日」でもありますが、こどもの日は男の子と女の子のための日です。

端午の節句とこどもの日はその由来も、そこに込められた意味も別にあります。

端午の節句について詳しく知ることで、日本の伝統行事を子どもたちに正しく伝えられ、より一層家族で過ごす大切な行事となるでしょう。

この記事では、端午の節句の由来や、端午の節句に飾る五月人形や鯉のぼりの意味、端午の節句にちなんで食べる食べ物の由来について解説します。

端午の節句の始まりとは?

「端午の節句」と聞いて、多くの人は「鯉のぼり」「かぶと」「五月人形」などを連想するでしょう。

しかし、端午の節句の意味までは詳しく知らないという方も多いはず。

ここでは、端午の節句の始まりについて紹介します。

端午の節句は、お子さまの成長を祝う日ですから、歴史や意味に触れながらお祝いできると、より良い時間を過ごせるでしょう。

「端午」と「節句」の意味

端午の節句とは五節句のうちの1つです。

端午の端という字には「はじめ・最初」という意味があり、旧暦で午の月は5月のことで、5月最初の午の日を端午の節句としていました。

本来であれば5月最初の午の日が端午の節句ですが、端午の午(ご)が五(ご)の音と同じであるため、奈良時代以降に5月5日が端午の節句といわれるようになりました。

端午の節句の「節句」とは季節の節目となる日のことをいいます。

奈良時代に中国から伝わってきた「陰陽五行説」が由来になり、日本に定着したといわれています。

中国から伝わってきた行事は端午の節句以外にも多くありましたが、徐々に減少し、江戸時代に特に重要な「五節句」が制定され、現代にも残っています。

制定された当初は全てが祝日でしたが、現在祝日となっているのは5月5日の端午の節句である「こどもの日」のみです。

端午の節句の始まりは奈良時代

端午の節句ができた由来は諸説あります。

端午の節句は、奈良時代に中国から伝わった文化です。

当時の中国には、「屈原(くつげん)」と呼ばれる人望の厚い政治家、詩人がいました。

国のために真っすぐに生きた屈原でしたが、周囲の陰謀により国から追放され、最後は川に身を投げてしまいます。

屈原は王や国民から信頼され、とても慕われていた政治家だったため、国民は屈原が亡くなった5月5日を「祭りの日」と定めました。

この風習が後に厄よけの行事として中国全体に伝わり、病気や邪気から身を守るための行事として「菖蒲(しょうぶ)」を飾ったり、菖蒲酒を飲んでいたと言います。

やがて五節句の風習が日本に伝わり、奈良・平安時代には宮中で「五日の節会」を行うようになりました。

江戸時代になり、幕府は「端午の節句」を祝日と定めました。

端午の節句には厄除けの菖蒲の他に、鎧兜や武者人形などの五月人形を飾って、男の子の厄除と立身出世を願うようになったのです。

こどもの日との関係

端午の節句は奈良時代に中国から日本へ伝わった文化ですが、日本において「式日」とされたのは、江戸時代です。

徳川幕府が、幕府の式日として5月5日を端午の節句と定めたことにより、将軍を祝うようになったのが始まりとされています。

将軍家では、男の子が誕生すると、玄関に「馬印」や「のぼり」で祝う風習がありました。

この風習が武士や庶民にも受け継がれ、「鯉のぼり」や「五月人形」「兜」を飾る風習へと変化していきます。

「こどもの日」は1948年に制定された国民の休日です。

国会で「こどもの日」を制定する際に、端午の節句の日である5月5日をこどもの日として定める声が多かったため、この日に決まったそうです。

こどもの日には「子どもの健やかな成長を祈願する」だけでなく、「母に感謝する」という意味も込められています。

端午の節句が男の子の節句となった理由

端午の節句が男の子の節句とされるようになったのは、江戸時代ごろからです。

徳川幕府が、幕府の式日として5月5日を端午の節句と定めたことにより、大名や旗本が江戸城へ行き、将軍にお祝いを奉じていました。

また、将軍家に男の子が産まれると、玄関前に馬印やのぼりを立ててお祝いしていました。

武家社会を重んじるようになり、菖蒲という言葉が「勝負」や「尚武」とかけられることから、徐々に男の子の節句として祝う日に変わっていったようです。

始めは武士たちが玄関先に旗や吹き流しを立てていましたが、次第に紙で作った兜や人形、武者絵を飾るようになりました。

やがてこれが町民にも浸透して、鯉のぼりが飾られるようになりました。

端午の節句のお祝い行事とその由来

端午の節句には鯉のぼりや五月人形を飾ったり、初節句を祝ったり、菖蒲湯に入ったりと、様々な行事が行われます。

それぞれの行事には由来があり、どの行事にもお子さまへの願いが込められています。

ここからは、各行事の由来について詳しく見ていきましょう。

  • 鯉のぼりをあげる

端午の節句に鯉のぼりをあげるようになったのは、中国の故事に由来しているといわれています。

中国に受け継がれる鯉の伝説として、流れの激しい竜門の滝を登った鯉はやがて竜になり、天に登ったというものがあります。

また、鯉は綺麗な川だけでなく沼や池でも生きていける強い生命力を持っているため、子どもにも強く逞しく生きて欲しいという願いが込められています。

日本では江戸時代、将軍に男の子が生まれると、のぼりを立てて知らせる風習がありました。

やがて、江戸時代の中期になると町人にもこの風習が広まります。

武士達は端午の節句のときにも、鎧兜や槍などと一緒に「幟旗(のぼりばた)」を飾っていましたが、庶民は飾れませんでした。

そこで代わりに『登竜門(とうりゅうもん)』の伝説で知られる「鯉の滝登り」をイメージし、和紙で作った鯉のぼりをあげるようになったのです。

  • 五月人形を飾る

端午の節句には、兜や鎧、五月人形を飾ります。

兜や鎧、五月人形には「魔除け」のためのお守りという意味があります。

五月人形には「子どもを病気や事故から守り、健やかに成長して欲しい」という願いが込められています。

ちなみに、兜や鎧を飾る風習は、武士が「虫干し」をしていた習慣から来ています。

また、戦の前の安全祈願として兜や鎧を神社に奉納していた習慣から、「身を護る」という意味も持っています。

  • 菖蒲湯に入る

端午の節句は別名「菖蒲の節句」といわれるほど菖蒲とは深い関係性があります。

古代中国では端午の節句の時期は雨季を迎え、病気や厄災が増えるため、「忌み月」とされていました。

菖蒲には強い香りがあり、邪気を払う効果があるとされていたため、菖蒲湯としてだけでなくお酒に浸して飲んだり、飾る習慣もありました。

菖蒲湯にはリラックス効果や血行促進効果もあります。

端午の節句には家族で菖蒲湯に入って、子どもの健やかな成長と家族の健康を願いましょう。

端午の節句に食べるものの由来

端午の節句には柏餅やちまき、タケノコなど伝統的に食べられている料理や食材があります。

それぞれなぜ端午の節句に食べられるようになってきたのか紹介します。

端午の節句ならではの食べ物を食べることで、さらに思い出に残る1日となるでしょう。

  • 柏餅

端午の節句に柏餅が食べられるようになったのは、江戸時代中期頃からです。

柏の葉は冬になり枯れ葉となっても木から落ちず、新芽が芽吹く頃まで木に残ることから、神様に守られていると考えられてきました。

このことから「家系の継続」や「子孫繁栄」を願いが込められています。

そして、昔から神事に欠かせない餅を縁起の良い柏の葉で包んで柏餅をつくり、男の子の成長を願って端午の節句に食べる風習が生まれました。

また、端午の節句に柏餅を食べる習慣は関東が中心です。

江戸には跡継ぎを大事に考える武家が多かったので、この風習は江戸を中心に東日本へ広がったそうです。

  • ちまき

ちまきを端午の節句に食べる習慣は中国の故事に由来します。

古代中国には「屈原(くつげん)」と呼ばれる人望の厚い政治家、詩人がいたのですが、陰謀によって国を追われ川へ身投げしました。

それを嘆き悲しんだ人達が、お供え物として川へ「ちまき」を投げて弔ったといいます。

このとき悪龍から供物を食べられないように、餅米を龍の嫌いな葉に包み、邪気を払う五色の糸で縛ったそうです。

この言い伝えから中国では「忠義のある大人に成長する」ことを願い、さらに「災いを避けられるように」子どもにちまきを食べさせるようになったそうです。

この風習は、奈良時代に中国から当時の都があった奈良に伝わり、関西・近畿を中心に西日本へ広がったのです。

  • タケノコ

端午の節句にはタケノコを食べる習慣もあります。

タケノコを食べることには、竹のようにまっすぐすくすく大きくなって欲しいとの願いが込められています。

また、端午の節句の時期に旬を迎えるため、より一層美味しく食べられます。

端午の節句におすすめの食べ方は、タケノコご飯やお吸い物、煮物などがあります。

子どもが食べやすいようにタケノコ入り肉団子や春巻きもおすすめです。

端午の節句以外の節句

節句といえば、端午の節句以外にも桃の節句がよく知られているのではないでしょうか。

端午の節句以外にも現代の日本に伝わる節句には、人日の節句、上巳の節句、七夕の節句、重陽の節句の五節句があります。

それぞれの節句の意味やどのような行事をするのかなどをご紹介します。

  • 人日の節句

人日の節句は1月7日で別名「七草の節句」ともいわれ、1年で最初に訪れる節句です。

前年の厄を払い、新年の無病息災を願います。

当日の朝に春の七草であるセリ、ナズナ、ゴギョウ、ハコベラ、ホトケノザ、スズナ、スズシロを入れた七草粥を食べる習慣があり、お正月の祝い酒やご馳走で弱った胃を回復させるためともいわれています。

  • 上巳の節句

上巳の節句とは3月3日のひな祭りのことです。

旧暦の3月3日は桃の花が咲く時期であったことから、別名「桃の節句」ともいわれています。

源氏物語の時代頃からすでに人々に浸透していたとも言われ、古くから歴史がある行事です。

女の子がいる家庭では雛人形を飾り、ひし餅、雛あられ、白酒(甘酒)などをいただきます。

他にもちらし寿司やお吸い物などを食べる家庭も多く、女の子の健やかな成長を願ってお祝いします。

  • 七夕の節句

七夕の節句は7月7日で別名「笹竹の節句」「七夕祭り」とも呼ばれます。

中国古来から伝わった牽牛星と織女星の伝説と日本古来の棚機女の伝説が合わさって、七夕の日として定着しました。

天の神が笹竹を目印に降り立ったことから、短冊に願いを込めて、竹や笹の葉に結びつける習慣が広まりました。

七夕の節句にはそうめんを食べますが、平安時代にそうめんの原形とされている索餅を七夕の儀式でお供えしたことが始まりといわれています。

  • 重陽の節句

重陽の節句は9月9日で別名「菊の節句」「栗の節句」とも呼ばれています。

最も大きい陽の数字である「9」が重なることから重陽と呼ばれています。

中国では菊の花には邪気払いや長寿の効能があることから、菊の被綿で体を清めたりお酒に菊の花を浮かべて飲んだりする風習があります。

このことから日本でも不老長寿を願う日となっています。

重陽の節句には菊酒やナス料理、栗ご飯を食べます。

最近はあまり馴染みのない節句ですが、以前は五節句を締めくくる大事な行事として扱われていました。

まとめ

端午の節句は、5月5日に男の子の健やかな成長と幸福を願ってお祝いする行事です。

端午の節句には古くからの意味や由来がある行事や食べ物を食べる習慣があります。

菖蒲湯に浸かり、鯉のぼりや五月人形を飾り、柏餅やちまき、タケノコなど端午の節句にちなんだ料理を食べてお祝いしましょう。

当工房は、江戸時代から続く伝統技術を現代に受け継ぐ人形工房です。

五月人形は、大切なお子様の健やかな成長と幸せを願い、お守りとなる日本の伝統文化です。

お気に入りの五月人形を飾り、お子様の誕生を家族で毎年お祝いしていきましょう。

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