大将飾りの歴史や飾り方の移り変わりまで
お子様の健やかな成長を願って飾る五月人形。
五月人形には、お人形を飾る「大将飾り」というものがあります。
こちらでは、
大将飾りの歴史と一緒に、大将飾りが時代とともにどのように移り変わってきたのかということを伝統工芸で大将のお顔を作る職人が説明しています。
大将飾りとは
大将飾りは、大将のお人形を中心に飾る五月人形のことを指しています。
現在では、鎧を着たこどもの武者姿のお人形と左右に弓太刀(弓と太刀)を置き、台と屏風とセットになった大将飾りが一般的です。
鎧を着たお人形の他にも、かわいい木目込み人形の子供大将や馬に乗った大将など種類はたくさんあります。お道具もいろいろな種類の中から選ぶことができる場合もあり、楽しく飾ることもできます。
大将飾りには、お子様に「強くたくましく育ってほしい」という願いが込められています。
大将飾りの歴史
端午の節句の歴史は古く、奈良時代頃にまでさかのぼるといわれています。当時は、邪気を払うために菖蒲(しょうぶ)が使用されており、無病息災や豊作も願われていたともいわれています。
そして江戸時代に入り、武具中心の新しいスタイルへと変化していき、男子の出生を祝う大切な行事になったとされています。男の子が強くたくましく育つように願いを込めて、家の前などの屋外に菖蒲兜という飾り兜や武具、幟(のぼり)などを飾りました。
大将などは、この頃の飾り兜に細工物として一緒になっていたお人形が独立して飾られるようになったことが始まりだと言われています。江戸時代や明治時代には、源義家や加藤清正などのお人形が飾られ、大正時代には子供のお顔も誕生し、昭和時代には子供のお顔もだんだんと人気が出始め、現代にいたっています。
大将飾り 飾り方の移り変わり
大将飾りは、時代とともに飾り方も変化しています。
江戸時代には、大将や鍾馗(しょうき)、金時(きんとき)などのお人形は、室内ではなく、屋外に飾られていました。幟の前にお人形や、鎧、兜、弓太刀や鯉のぼりなどを並べて盛大に行われていたと言われています。
そして大将飾りは、次第に室内に飾られるようになり、それぞれの地域で発展していったと考えられています。
こちらは中部地方の大将飾りの移り変わりを説明しています。
昭和30年ごろの大将飾り。
一段目に柏餅や粽(ちまき)、三宝台(さんぼうだい)
二段目に篝火(かがりび)、軍扇(ぐんせん)、太鼓(たいこ)や弓太刀
三段目に大人の大将とその横に鎧か兜、後ろに幟(のぼり)、鯉のぼりや提灯(ちょうちん)
昭和40年代頃の大将飾り
そして、昭和50年代頃に大人の大将のひげがなくなり、若大将のセットが誕生し、次に子供大将になりました。(中部地方)
そして、現代の一般的な大将飾りはこちらです。
台を置き、後ろに屏風を置き、真ん中に子供大将を置いて、向かって左に弓、右に太刀を置いて飾ってください。
- ・その他の大将飾り
かわいらしい木目込みの子供大将飾りもあります。飾り方は様々です。
大将が馬に乗った立派な「馬乗り大将」もあります。
その他にも、近年ではバイクに乗った大将など、様々な大将飾りが誕生しています。
- ・まとめ
大将飾りは、歴史ある五月人形です。それぞれの地域でいろいろなお人形が誕生し現代に至っていると考えられます。
大人のお顔から子供のお顔まで、いつの時代も、お子様の健やかな成長を願って大切に飾られています。
台や屏風、お道具も組み合わせてお選びいただける場合も多いので、素敵な大将飾りを見つけてくださいね。
味岡人形では、子供大将のお顔をお子様に似せて制作するオーダーメイドも承っております。
衣装の大きさやデザインもたくさんの種類の中からお選びいただけます。
台や屏風も組み合わせ、世界に一つの五月人形をお届けします。
オーダーメイド五月人形のことを詳しく知りたい方は「味岡人形 オーダーメイド五月人形」をご覧ください。
職人が、伝統工芸を大切にお人形を制作する工房です。
江戸時代には当たり前にあった桐塑胡粉仕上げの技術を伝える職人は、今では日本で数人になってしまいました。桐塑胡粉仕上げでしか表現できない温もりや質感、美しさを大切にし、人形を制作しています。工房での一日一日のほんの少しずつの積み重ねがいつか形になり、後世に伝えていけるような作品が出来たらいいなと思っています。
- 投稿日時:2020.6.14 19.09.24 / カテゴリー:コラム
- https://ajioka.net/blog/colunm/15443