お子様が本多忠勝の五月人形に!職人が伝統工芸で作る大将飾り
男の子の誕生を祝い、健やかに育ての願いを込めて飾る五月人形。
五月人形には、お人形を中心に飾る大将飾りも人気があります。
かわいい大将飾りには、職人が江戸時代からの伝統技術でお子様のお顔に似せてつくる本多忠勝のオーダーメイドの似顔子供大将があります。
こちらでは、本多忠勝のかっこいい馬乗り大将とかわいい大将飾りと一緒に、本多忠勝についても詳しく歴史解説をしています。
本多忠勝のオーダーメイドの似顔子供大将
本多忠勝の子供大将は、職人がお子様のお顔に似せてつくる人気の五月人形です。
熟練の職人が、江戸時代からの伝統工芸により、一つ一つ丁寧に制作させていただきます。
お顔だけでなく、衣装のタイプも小さくかわいいお人形から大きな馬乗り大将まで色々な種類の中からお選びいただだけます。
台や屏風、お道具も色々と組み合わせ、世界に一つの五月人形をお届けします。
オーダーメイドの五月人形のことを詳しく知りたい方は「味岡人形 オーダーメイド似顔お子様大将」のページをご覧ください。
本多忠勝の似顔馬乗り大将
本多忠勝の馬乗り大将 伝統工芸 桐塑頭(とうそがしら)
横幅:66センチ
奥行:43センチ
高さ:60センチ
50センチを超える立派な本多忠勝の馬乗り大将は、職人がお子様のお顔に似せて制作させていただきます。
鎧の肩から掛けた数珠には本多忠勝の特別な思いが込められていると言われています。
本多家に伝来するとされる鹿角の脇立が付いたかっこいい兜が特徴的です。
馬乗り大将は、台や屏風などの付属品も色々な種類の中からお選びいただけます。
職人が江戸時代からの伝統工芸により表現する世界に一つの特別な五月人形です。
本多忠勝の似顔子供大将
本多忠勝 子供大将飾り 伝統工芸 桐塑頭
横幅:55センチ
奥行:33センチ
高さ:37センチ
かわいい本多忠勝の子供大将のお顔も職人がお子様に似せて制作させていただきます。
似顔子供大将の衣裳は木目込み人形となっており、色々な布の中からお好きなデザインをお選びいただけます。
台や屏風、弓太刀や名前旗なども自由に組み合わせて、お客様のお好みのセット組をご提案いたします。
職人が江戸時代からの伝統工芸を大切にする世界に一つの子供大将です。
本多忠勝を歴史解説
本多忠勝(1548〜1610)
徳川家康の重臣。通称は平八郎。
現在の岡崎市西蔵前町で誕生。
幼少より家康に仕え、大坂の陣を除く主要な家康の合戦のほとんど
徳川随一の猛将であり、また、徳川四天王の1人でもある。
父は本多忠高だが、戦国時代特有の理由もあり、叔父である忠真に
後述する武勇から、織田信長は「日本の張飛」「花も実も兼ね備え
ちなみに張飛とは、中国の三国志のうちの一国である、蜀の劉備に
1560年代の末頃に部隊の指揮官に引き立てられたとされている
忠勝を有名にしたのは1572年の一言坂の戦いである。
遠江国(現在の静岡県西部)に侵攻した武田軍との戦闘で退却する
忠勝は単騎最後尾に立ち、見事な馬さばき槍さばきで敵を寄せ付け
その武勇から、武田方からは
「家康に過ぎたるものが二つあり。唐の頭(からのかしら)に本多
と言われたと伝わる。
ちなみに、唐の頭とは、海外から輸入された、ヤクの毛を使用した
ヤクの毛は、武田信玄の兜として有名な「諏訪法性兜」(すわほっ
次に家康と羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)が戦った小牧・長久手の戦い
忠勝は家康を追う秀吉軍を妨害するために、僅か500の兵で秀吉
しかし、秀吉は少数の忠勝の軍には取り合わない。
両軍は川を挟んで並び進んでいたが、何と忠勝は川に入り、悠然と
それを見た秀吉は「あの少数で戦えば負けは必至だが、あのような
家康と秀吉の和平後、秀吉は忠勝に対し数々の贈り物をして家臣に
こうした戦歴は江戸時代の史料で潤色されたものとも言われるが、
ここで、忠勝所用の鎧兜について説明したい。
黒糸威二枚胴具足(くろいとおどしにまいどうぐそく)と呼ばれる
兜は鹿角の脇立が付いていることが特徴的であり、長篠の戦い(1
また、鎧の肩から掛けた金箔押の数珠には、戦いに明け暮れ、生死
ちなみに、忠勝所用の鑓(やり)は日本三名鑓の一つである、「蜻
1590年、家康が秀吉の命により関東に移封されると、忠勝は上
その知行高は10万石であり、これは豊臣政権下の大名家臣として
ちなみに、他の徳川四天王と呼ばれる人物を見ると、井伊直政は上
ちなみに、上杉景勝の重臣であり、後にいわゆる「直江状」を家康
忠勝の娘は真田幸村こと信繁の兄である、信幸の正室である。
ちなみに、信繁の正室は石田三成の盟友と言われる大谷吉継の娘で
これを犬伏の別れという。
1600年、石田三成らが挙兵した際、家康は会津の上杉景勝を攻
任務としては、正則らの戦場での働き振りを報告することであった
関ヶ原の戦いの本戦では、忠勝は南宮山に陣を敷いた毛利勢の監視
周知の通り、関ヶ原の戦いは家康の勝利に終わり、昌幸・信繁父子
関ヶ原の戦い後は、桑名藩の初代藩主となっている。
これは、家康が伏見城や二条城を「天下」の政庁と位置付けて、関
ちなみに、忠勝の後継者となった忠政の正室は家康嫡男の松平信康
さらにこの措置は、忠勝一代で向上させた本多家の家格を婚姻によ
忠政も家康の期待に応えて、大坂夏の陣では全軍の中でも大きな働
以上、戦歴や逸話は全て信じるわけにはいかないだろうが、忠勝の
まとめ
本多忠勝の五月人形は、職人がお子様に似せて伝統工芸で一つ一つ表現させていただきます。
かっこいい鹿角の脇立が特徴的な本多忠勝の五月人形には、立派な「馬乗り大将」とかわいい「子供大将」があります。
お子様大将のセットは、衣装や台、屏風、お道具なども色々な種類を組み合わせ、世界に一つの五月人形をご提案いたします。
似顔お子様大将は、全国的にも珍しい江戸時代からの伝統工芸の技術により表現される特別な作品となっております。
お気軽にお問合せくださいませ。
- 投稿日時:2021.6.06 17.45.45 / カテゴリー:五月人形
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