お子様が伊達政宗の五月人形に!職人のオーダーメイド大将飾り
お子様の健やかな成長を願い飾る五月人形。
大切な家族の願いが込められた五月人形は、かわいい大将飾りも人気を集めています。
かわいい大将飾りのお顔は、職人がお子様に似せてつくる伊達政宗の「オーダーメイド五月人形」があります。
こちらでは、伊達政宗のオーダーメイド似顔五月人形のご紹介と一緒に伊達政宗についても詳しく歴史解説をしています。
伊達政宗のオーダーメイド子供大将
伊達政宗のオーダーメイド子供大将のお顔は、職人が江戸時代からの伝統技術の桐塑頭(とうそがしら)により、お子様のお顔に似せて制作させていただきます。
桐塑頭は、桐の木の粉や貝殻の粉などの天然素材を使用して、100年以上前から変わらない技術技法により一カ月以上掛けできあがります。
貝殻の粉から作った胡粉を10数回塗り重ねてつくられるお顔には、やさしい温かみがあり、表情は目、鼻、口などを手彫りで表現する世界に一つの五月人形となっております。
オーダーメイド五月人形のことを詳しく知りたい方は「味岡人形 オーダーメイド五月人形」をご覧ください。
伊達政宗の似顔馬乗り大将
伊達政宗 馬乗り大将 白 伝統工芸 桐塑頭
横幅:55センチ
奥行:40センチ
高さ:55センチ
高さ約50センチほどの立派な馬乗り大将は、白色と黒色の2種類の馬をご用意しております。
伊達政宗 馬乗り大将 黒 伝統工芸 桐塑頭
お顔は、職人がお子様に似せて伝統工芸の桐塑頭で一カ月ほど掛け一つ一つ丁寧に制作いたします。
馬乗り大将の五月人形は、後ろの屏風も色々な種類を取り揃えており、台や弓太刀、名前旗や鯉のぼりなどを自由に組み合わせることができます。
お子様がスタイリッシュな伊達政宗の三日月の兜を身に着け、たくましい馬に乗った世界に一つの大将飾りです。
伊達政宗の似顔子供大将
伊達政宗 木目込み 子供大将飾り 伝統工芸 桐塑頭
横幅:37.5センチ
奥行:23センチ
高さ:33センチ
伊達政宗の似顔子供大将飾りには、かわいい木目込み人形もあります。
かわいい子供大将の衣装は、いろいろな布の中からお好きな色をお選びいただけます。
台や屏風、お道具や名前旗など色々な種類の中から組み合わせることもできます。
職人がお顔を伝統工芸で制作し、衣装も手作りでお届けする世界に一つの伊達政宗の子供大将です。
伊達政宗を歴史解説
伊達政宗(1567〜1636)
1567年、米沢城にて誕生。
父は伊達家16代当主輝宗、母は山形城主最上義守の娘の義姫である。
幼名は梵天丸。
政宗が産まれた1567年時点で、織田信長34歳、豊臣秀吉32歳、徳川家康24歳と、かなり若い世代であることが分かる。
父の輝宗も1544年生まれ、家康より2歳若い。
18歳で家督を譲られ17代当主となり、周辺勢力との戦いを続け、わずか4年で南奥州を勢力下に置いている。
しかし、豊臣秀吉による天下統一は目前であり、小田原合戦中に秀吉に臣従することになった。
その後は豊臣大名として活動するも、秀吉没後は徳川家康に接近する。
家康六男の松平忠輝と、娘である五郎八姫との婚姻により関係を深め、関ヶ原の戦いの際には奥州で西軍の上杉景勝と戦った。
関ヶ原の戦い後、政宗は本拠地を仙台に定め、内政に力を入れる。
仙台築城、荒地開墾、治水工事などである。
こうして仙台藩62万石の基礎を築いていった。
また、幕府の許可を得て、貿易交渉をするために家臣の支倉常長をスペインに派遣したが、こちらは幕府のキリスト教に対する禁教の方針が強化されつつあったため目的を果たせなかった。
大坂の陣では幕府方として参戦(冬の陣は1614年)夏の陣(1615年)では後に「日本一の兵(ひのもといちのつわもの)」と称される真田信繁(幸村)と道明寺合戦で激闘を繰り広げた。
政宗は鉄炮をかなり重視していたらしく、戦国時代の陣形や陣立書を研究する乃至政彦氏によると、大坂冬の陣で政宗は27隊のうち、20隊が鉄炮隊で占められた軍勢を率いていた。
鉄炮の数は3430挺であり、陣立書にある兵数5200人に占める割合は何と65.9%もの鉄炮配備率である。
夏の陣でも同様の軍勢を率いており、先の道明寺合戦では豊臣方の大坂五人衆の1人、後藤又兵衛の軍勢におびただしい銃撃を浴びせて後退させている。
道明寺合戦についての論文を書かれている蒲原二郎氏によると、真田信繁隊も負けじと伊達軍と銃撃戦を繰り広げたようである。
政宗の兜と言えば、前立が半月輪となっているのが特徴的である。
これは、『治家記録』という史料によると、父の輝宗が政宗のために定めたとされ、半月輪は密教の胎蔵界を象ったものである。
母の義姫が世子の誕生を湯殿山に祈願した所、政宗が誕生したためと言われている。
政宗は「筆武将」と呼ばれるほど、自筆の手紙を多く残している。
現存するだけでも1260点ある。
戦国武将は発給する文書は右筆という、現在でいう秘書に書かせることが普通であり、織田信長は3通ほど、豊臣秀吉は約130通、徳川家康は約30通ほどしか自筆の手紙が現存しておらず、政宗は際立って多い。
これは、政宗を研究する佐藤憲一氏によると、政宗はお互いの信頼関係を築く上で、「自筆こそ最高の礼」と考えていたようである。
ちなみに、父の輝宗も自筆の日記を残している。
天正2(1574)年のもので、信長から書状が届いたことや、上杉謙信が関東に出陣したことが書かれている。
政宗もそうした父の影響を受けたのかもしれない。
ちなみに、この日記には最上氏との戦いにおいて、「鉄炮戦」を行ったという記事や、鉄炮30挺を注文した、という記事が見られ、この頃から奥州でも鉄炮が合戦に使われ出したことが分かる。
そこから40年後の大坂の陣では、政宗は単純計算で約100倍の鉄炮を用意したことになる。
鉄炮一挺は現在の金額で50〜60万円という計算になると言われており、大坂の陣で政宗が用意した3430挺となると20億円近い費用がかかる計算になる。
全ての鉄炮を政宗が用意したとは限らないが、それでも政宗の内政がうまく運営され、豊かな財源があったことは想像できそうである。
まとめ
お子様のお顔に似せて制作する伊達政宗のオーダーメイドの五月人形は、職人が江戸時代からの伝統工芸の桐塑頭により、目、鼻、口などを手彫りで表現し、胡粉を10数回塗り重ねて一つ一つ丁寧にお作りします。
馬乗り大将は白色と黒色の2種類があり、木目込みの子供大将も衣装のデザインは色々な布の中からお選びいただけます。
台や屏風、お道具も自由に組み合わせることもできます。
全国的にも希少な伝統工芸の桐塑頭を大切にする数少ない工房です。
お気軽にお問い合わせくださいませ。
- 投稿日時:2021.3.06 19.39.39 / カテゴリー:五月人形
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