映水BLOG

2020.2.8 / コラム

市松人形を詳しく解説!由来や歴史、雛祭りとしての意味

市松人形は、江戸時代から雛人形と一緒に飾られることもあり、着せ替え人形としても親しまれてきた歴史ある日本のお人形です。

昭和初期には、日本とアメリカの親善を目的とした国際交流の際にも制作され、人形が広く一般的に美術品として認識されることとなりました。

そして現在も着せ替え人形や桃の節句には女の子のお守りとしても大切にされています。

こちらでは、

市松人形の由来と歴史
雛祭りとしての市松人形
市松人形の素材の歴史とそれぞれの特徴

について、伝統工芸で市松人形をつくる職人が説明をしています。

市松人形とは


Eisui Ajioka

市松人形とは、日本人形の着せ替え人形の一種です。一般的には女の子は、黒髪のおかっぱ頭の着物姿をしており、男の子は羽織、袴を身に着けた、5歳から6歳くらいの子供をモデルとして作られたお人形のことを指しています。見た目は、初めからおかっぱ頭だったわけではなく、時代とともに変化をしており、明治時代頃から現在のイメージで制作されるものも誕生しました。

着せ替えをして楽しむ目的の他にも、初節句には、おまもりとして雛人形と一緒に飾ったり、姉妹全員に雛人形を購入することが難しい場合は雛人形の代わりに市松人形を飾る場合もあります。

大きさは、10センチ前後の小さなものから80センチを超すものまであり、昭和初期頃までの市松人形は着せ替えをして楽しむことができる作りでしたが、現在の市松人形は着せ替えをすることができず、ガラスケースに入れられ観賞用として飾られることが一般的です。

現代の市松人形は、見た目も種類が増え、昔ながらのおかっぱ頭に加え、茶色い髪の毛をした現代的なヘアスタイルのお人形もできあがり雛人形とともに愛されています。

市松人形の由来と歴史

       

市松人形は、江戸時代の人気歌舞伎役者、佐野川市松に似せたお人形ができたことに由来するといわれており、幕末の喜多川守貞の「守貞謾稿(もりさだまんこう)」にも記されています。そして、現在の「市松模様」という言葉も佐野川市松が好んで着たことから市松人形とともに現代まで伝えられています。

市松人形と呼ばれるようになる前からも、「抱き人形」としての文化や、子供姿の「裸人形」として男女のお人形があり、衣装を着せ替えたり、抱っこをしてかわいがったり、高級品は雛人形と一緒に飾られることもありました。


三つ折れ人形   江戸時代の作品

そして、江戸時代に佐野川市松に似せたお人形が大流行したことで市松人形と呼ばれるようになったとされています。当時の市松人形は、やや細面で雛人形に近いものや御所人形(ごしょにんぎょう)タイプのお顔など、大きな枠を越える表情の表現のものは少ない時代でした。市松人形の種類には「三つ折れ人形(みつおれにんぎょう)」と呼ばれる、首や手足だけでなく、足はももの付け根、膝、足首と動かすことができ、正座をする作りになっているものもありました。三つ折れ人形は、日本の畳に座る生活習慣から考え出されたと言われています。


明治時代の市松人形

明治時代に入ると江戸時代にはなかった、明るく笑顔の表情のお人形も誕生しました。大きなものも多く、60センチを超すものやそれ以上の作品もあり、男の子の作品も多く作られました。耳も大きく、えくぼのあるものや赤ちゃんのお顔をしたお人形もできあがりました。


大正時代の市松人形

大正時代に入ると、市松人形の表現のレベルもさらに優れたものとなりました。明治時代の作品のように、個性や特徴があるものではなく、普通の素朴な表現の中に技術が注ぎ込まれた作品もできあがりました。

そして、大正時代から昭和初期にはお嫁入り道具になり「つらいことがあったらお人形さんに聞いてもらいなさい」と持たせた時代もありました。市松人形は現代でこそ、観賞用として飾られることが多くありますが、昔は裸のお人形を購入し、自身で着物を縫い、着せ付けるということが一般的で、縫製の練習にも大いに役に立ちました。

  • ・答礼人形と青い目の人形


答礼人形 ミス岩手

昭和二年の春に、アメリカから12739体のお人形が全国の幼稚園や小学校に贈られました。このお人形は「青い目の人形」といい、戦前の日米の親善を目的としていました。

アメリカから届いたお人形に応えて、日本からは「答礼人形(とうれいにんぎょう)」として約81センチの大型の市松人形58体をアメリカの各州に送りました。

この事業は、日本とアメリカの間で行われた人形の民間外交でアメリカのシドニー・L・ギューリック氏と日本の渋沢栄一氏を代表として530万人もの人が関わったとされています。

この答礼人形制作は、日本を代表して海外に渡る人形であったために多くの人形師が応募し、その技を競い合いました。そして100体以上集まった人形の中からコンクール形式でアメリカに贈られるお人形が選ばれました。その中で一等に選ばれた人形が若干25歳の2代平田郷陽(ひらたごうよう)の作品でした。この出来事により、それまで着せ替え人形としての市松人形や美術としてとらえられていなかった人形が美術品となり国際親善使節として脚光を浴びることとなりました。この事実により、世間一般の人形に対する認識も変わり、1936年、帝展(現在の日展)に人形部門が設けられることになり第一回には平田郷陽氏も入選しており、のちに人間国宝となりました。


平田郷陽作 市松人形 昭和時代

昭和初期に市松人形は「やまと人形」と呼ばれた時期もありましたが、戦後、市松人形という名称で再度全国に広まることになり、現在も雛人形と一緒に飾られています。昭和初期には数多くいた伝統の市松人形師も現代になり日本で数名となりましたが、伝統工芸の市松人形を後世に伝えていくために制作を続けています。市松人形は、江戸時代から人々に愛され、今なお着せ替え人形や観賞用、女の子のお祝いとしても大切にされ続けている日本の伝統のお人形です。

雛祭りとしての市松人形の意味

三月三日の桃の節句には、雛人形と市松人形を飾り女の子の幸せと健やかな成長を願いお祝いをします。雛人形と一緒に市松人形を飾るという文化は、江戸時代からありました。

市松人形には、雛人形と同様に女の子の身に降りかかる災厄を祓い、病気やケガから守ってくださいね。という意味があり飾られます。また、お人形さんのように美しく育ってね。という願いも込められています。

市松人形は誰が贈るの?

市松人形は、誰が贈るのかについて明確に決められているわけではありませんが、母方の実家が雛人形を購入し、父方の実家が市松人形を購入するという場合もあります。また、親戚、知人の方からもお祝いとして贈られています。

雛人形を姉妹一人一人に飾ることが難しい場合などには、二人目以降のお子様に雛人形の代わりとして母方の実家から贈られることもあります。

また、お節句としてではなく、ご自分の趣味で集められたり、お母様へのプレゼントとして市松人形をお求めになられる方も多くいらっしゃいます。

市松人形はいつ飾る?

  • ・桃の節句で市松人形を飾る場合

桃の節句で市松人形を飾る場合は、雛人形と同じく立春(節分の翌日)頃から二月中旬頃までが一般的です。ただ、早めにお飾りいただくことに問題があるわけではありません。12月ごろからお飾りになる方もいらっしゃいます。

かわいい市松人形を長くお楽しみいただくために、遅くともひな祭りの一週間前までには飾ると良いでしょう。

また、桃の節句の時期が過ぎても、その子を一生を守ってくれる「おまもり」として年中お飾りいただく場合もありますので、年間を通して大切にしていただけます。

  • ・インテリアや趣味として市松人形を飾る場合

お部屋を明るくするインテリアや着せ替え人形として市松人形をお楽しみいただく方は、一年中お飾りいただだけます。季節に合わせて着物を着せ替えたり、着物を布から選び、自分で縫って着せ付けをしたり、市松人形には色々な楽しみ方があります。

  • ・市松人形を飾る場所と片付ける際に注意すること

市松人形を飾る場所は、直射日光の当たるところや乾燥するところ、湿気の多いところは避けてください。

片付けの際は、毛バタキで良くホコリを払い、天気の良い乾燥した日にしまうのがおすすめです。その際は防虫剤もお入れください。

市松人形の片付け方を詳しく知りたい方は「市松人形のしまい方を写真と一緒にわかりやすく解説! 味岡人形 映水ブログ」を参考にしてください。

市松人形の素材の歴史

市松人形は一般的には、お顔、手足、胴があり、それぞれ制作され、胴体に布で手足を繋ぎ作られています。

江戸時代には、木彫りに胡粉を塗り重ねて作る木彫胡粉仕上げで作られることが多く、桐の木の粉にしょうふ糊を混ぜ生地抜きをしたものに胡粉を塗り重ねて仕上げる桐塑胡粉仕上げ(とうそごふんしあげ)により作られることもありました。明治時代には、木型に薄い古紙を何枚も張り重ねたものに胡粉を塗り仕上げる張り子製も多く作られ、大正時代や昭和初期には、桐塑の市松人形が多く作られました。

現在の市松人形の多くは、お顔はシリコンの型に石膏を流し込んで作る石膏頭(せっこうがしら)、胴は発泡スチロールやポリウレタンなどを使用したものがほとんどを占めており、海外でも多く作られています。

一般的に雛人形と飾る場合には、石膏頭の市松人形が多く贈られております。

着せ替えをしたり、何十年と大切にしていただく場合は味わいのある「桐塑頭」の市松人形をおすすめしますが、制作する職人も少なくなっています。

しょうふ糊・・・小麦粉から抽出したデンプンを成分として作られる糊

それぞれの素材を使用した市松人形の特徴

木彫、張り子、桐塑、いずれも胡粉を膠(にかわ)で溶いたものを何度も何度も塗り重ねることにより作られています。

伝統工芸の胡粉仕上げのお肌には独特な味わいがあり、長く飾ることにより深みが出てきます。また、修理や修復をすることができ、100年以上大切にしていただける作りです。

現代の石膏製は、胡粉を塗り重ねられることもありますが、水性塗料なども使用されています。

胡粉・・・貝殻の粉のこと
膠 ・・・動物のせき髄などから取れるゼラチン

  • ・木彫

桐の木を彫刻し作られているためにどっしりとした重さがあり、それがリアルさを感じるものとなっています。木彫に直接胡粉を塗り重ねているために三つ折れ人形の場合、立たせる際には自立しやすく、正座をさせる際にも安定する作りとなっています。

  • ・張り子(紙)

紙に胡粉を塗り重ねてつくられていますが、紙と胡粉の愛称は良く、丈夫なつくりとなっています。また、紙は湿気を吸い取るという特徴もあります。

  • ・桐塑(とうそ)

桐の木の粉を材料としており、お顔や胴、手足の中は空洞となっているため木彫や石膏よりも軽さがあります。木彫、張り子と同様に非常に手間が掛かる伝統工芸です。目、鼻、口も一つ一つ小刀を使用して表現していくため、同じ顔がなく、世界に一つのお人形に仕上がります。

  • ・石膏

シリコンの型に石膏を流し込んで制作するため、型の通りに良いお顔を表現することができます。現代の市松人形や雛人形のお顔は一般的にはこの素材で制作されており。海外製も多くなっています。

市松人形の着物の種類


シルクの着物

市松人形の着物には、大きく分けて正絹(シルクのこと)と化繊があります。現代の市松人形は、化繊の着物が一般的です。高級な市松人形の着物には正絹が使用されることが多いです。


古布の着物

コレクターの方には、正絹の中でも江戸時代や明治、大正時代の「古布」を使用した着物が人気です。現代では表現できない風合いや色合いが素敵ですが、とても希少なものとなっています。

市松人形は着せ替えができるの?

現代の市松人形のほとんどは上部の着物と下部の着物がそれぞれにつくられ、真ん中で帯を張り付けて仕上げるために着せ替えをすることができません。

江戸時代、明治時代や大正時代、昭和初期の市松人形の着物は手縫いで仕立てられ、着せ替えることができます。

現代の市松人形でも、一般的には桐塑頭の市松人形のすべてと石膏頭の市松人形の一部は着せ替えることができ、お座りもできます。

桐塑頭の市松人形は一つ一つが手作りのため、お顔に似合う着物を選ぶこともおすすめです。

市松人形は、お人形本体のみの販売もあり、ご自分で着物を縫われたりする方に人気があります。また、お洋服を着せることもできます。

まとめ

市松人形は、江戸時代の歌舞伎役者、佐野川市松に似せたお人形ができたことに由来すると言われています。

江戸時代から雛人形と一緒に飾られることもあり、着せ替えを楽しむという伝統文化のスタイルは変わることなく、お子様の一生のお守り、そしてインテリアや着せ替え人形としてこれからも大切にされていくことでしょう。

当工房は江戸時代からの伝統技術でお人形をつくる工房です。

市松人形は、手のひらサイズの大きさから取り揃えており、着物もたくさんの種類からお選び頂けます。

職人が伝統工芸により制作する、世界に一つの市松人形です。

お気軽にお問い合わせくださいませ。

可愛い市松人形ができあがるまで。職人が作る伝統工芸のお人形。

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