映水BLOG

2021.9.3 / コラム

雛人形の移り変わりについて解説!大切なお顔のことも説明

三月三日の桃の節句には、女の子が健やかに、そして美しく育つようにと家族の願いを込めてひな人形を飾ります。

あたたかな春を彩るひな人形は、平安時代頃にそのルーツがあるとされています。

かわいいお人形は、昔から大切にされていたんですね。

こちらでは、雛人形の移り変わりと雛人形のお顔についても解説しています。

雛人形の歴史

雛人形は、雛祭りの歴史と深く関わっています。

雛祭りの歴史は古く、古代中国にあるとされています。
中国の暦法で定められている五節句は、1月7日・人日(じんじつ)、3月3日・上巳(じょうし・じょうみ)、5月5日・端午(たんご)、7月7日・七夕(たなばた)、9月9日・重陽(ちょうよう)とされ、平安時代頃に日本に伝わってきたと言われています。

中国ではかつて3月の最初の巳の日「上巳の節句」に川で身を清め厄を祓う風習がありました。

そして、日本の王朝文化の頃には、紙などで作られた小さなお人形に息を吹きかけたり、体をなでたりし厄を移し、自身の身代わりとして水に流す神事が行われていました。
同じ時代には、上流階級の女の子の間でおこなわれた、おままごとにも紙でできた小さなお人形が使用され、この遊びは「ひいな遊び」と言われました。

この神事に使用された「祓いのひとがた」と、おままごとの「ひいな遊び」とが結びつくことにより「雛祭り」の原型ができあがったとされています。

この祓いに使用されたひとがたが立雛(たちびな)に変わり、長い時間を掛けて今日の雛祭りになったとされています。

雛人形の移り変わり

日本人は、古来より土偶などに想いを込めていました。

平安時代になると、自身の厄を移し、川や海などに流すための「形代(かたしろ)」として紙などで「ひとがた」が作られ、そして上流階級の女の子のひいな遊びとして、ちいさくかわいらしい「ひいな(ひひな)」も紙などで作られるようになりました。


左 這子  右 天児   ※イメージ

平安時代には、形代の一種として「天児(あまがつ)」と「這子(ほうこ)」と呼ばれる人形もありました。

天児と這子は、赤ちゃんの枕元に置かれ、健やかな成長を見守るための「みがわり人形」として上流階級の間で盛んに用いられていました。
現在の雛人形も、赤ちゃんの健やかな成長を願い飾られていますので、昔から親が子を想う気持ちは変わらないのですね。
この天児と這子は、室町時代には、さらに人形らしさが増してきたと言われています。

天児は、絹でつくられたまるいお顔に、目、鼻、口が描かれ、白い着物を着ています。
這子も絹の丸いお顔に目、鼻、口が描かれ、絹の束ねられた長い髪の毛、胴も絹で作られたぬいぐるみのようなお人形です。

天児は男、這子は女とされ、室町時代にできたと言われる立雛(たちびな)の原型になったと言われています。

そして、雛遊びは室町期に三月三日の行事に定着し、「ひひな」は「にんぎょう」と呼ばれるようになります。

江戸時代に入り、平和な時代が続くと「雛遊び」から「雛祭り」とその名が変わり、雛人形を飾って健康と幸せを願う年中行事に定着しました。ひな祭りは、初めは女性のお祭りでしたが、江戸中期~後期には女の子の初節句を祝う習慣となりました。

雛人形は、祓いに使用された形代が室町期には紙で作られた立雛となり、江戸時代には現在の雛人形のように座り姿の男雛と女雛が誕生し、江戸時代後期には、三人官女や五人囃子、随身、仕丁などのお人形も誕生しました。

飾り方は、江戸初期には、男雛と女雛に屏風を立て廻し、簡単な雛道具のみでしたが、江戸中期頃になると、雛段も二段、三段となり、四段、五段、幕末には七段や八段と豪華になりました。

雛人形の男雛と女雛の左右はどちらが正しいの?

雛人形の男雛と女雛の左右の並べ方については、実は明確に決められてはいません。

どちらが正しくて、どちらが間違っているということはありません。

古くからの日本では、左(向かって右)を大切にしており、向かって右に男雛、左に女雛を飾ることが多くありましたが、現代の雛人形は、男雛が右(向かって左)、女雛が左(向かって右)に並べられることが一般的です。

雛人形の左右が現代の一般的な並べ方になったのは、明治時代の終わりごろに取り入れられた西洋の右を上位とするルールに基づいているためです。

昔のスタイルで雛人形を飾る場合は、男雛が向かって右、女雛が向かって左となり、現代のスタイルで雛人形を飾りたい場合は、男雛が向かって左、女雛が向かって右となります。

男雛と女雛の左右に明確なルールもありませんので、自由に雛人形をお楽しみください。

雛人形のお顔について


江戸時代からの伝統工芸 桐塑頭(とうそがしら)  味岡映水作

平安時代頃から由来のある雛人形は、室町時代に立雛ができあがったとされ、江戸時代には現在のような座り雛や三人官女などのお人形ができあがったと言われています。

雛人形のお顔は、初めは紙などをまるくした簡単なものでしたが、江戸時代になり職人の技術も向上すると、木彫のお顔に貝殻の粉を膠(動物から取れるゼラチンで、にかわと読みます。)で溶いた胡粉を塗って仕上げる木彫頭(もくちょうがしら)ができあがりました。


江戸時代の伝統工芸 桐塑頭(とうそがしら)の土台

江戸時代に雛人形の需要が高まると、桐の木の粉と糊を混ぜて生地抜きをしたものを土台として、その上に胡粉を塗り重ねる桐塑頭(とうそがしら)の技法が確立されました。

胡粉を地塗り、中塗り、上塗りとそれぞれ何度も塗り重ねて一カ月以上掛けてつくられる大変手間の掛かる伝統工芸のお顔です。

目、鼻、口も一つ一つ作り込んでいくために、世界に一つの表情と、味わいのあるあたたかなお顔ができあがります。


現代のシリコンの型を使用する石膏頭(せっこうがしら)の土台

日本の高度経済成長に伴い雛人形の需要がさらに高まると、シリコンの型に石膏を流し込んで作る石膏頭(せっこうがしら)の技術が確立されました。

一つの原型からシリコンで型を起こし、石膏を流し込むことで原型と同じお顔を早く、たくさん、正確に作ることができるようになりました。

目、鼻、口も手彫りで仕上げる伝統工芸の桐塑頭と比べると、シリコンの型の通りに目、鼻、口が始めから表現される石膏頭は大幅に工程が短縮され大量に作ることができます。

現在では、石膏頭のお顔が一般的となり、海外で作られることも多くなりました。そのため、伝統工芸の木彫頭や桐塑頭は探しても見つけることが難しいほどに貴重なものとなっております。

日本の伝統をいつまでも大切にしていきたいですね。

味岡人形では、かわいいお子様のお顔に似せてつくるオーダーメイドの雛人形のご注文も承っております。

職人が、江戸時代からの伝統工芸の桐塑頭により一つ一つ丁寧に制作いたします。

お着物のデザインやセットの大きさ、台や屏風もご希望に合わせてご提案いたします。

オーダーメイドの雛人形のことを詳しく知りたい方は「味岡人形 オーダーメイド似顔雛人形」のページをご覧ください。

職人が伝統工芸を大切にする数少ない工房です。

お気軽にお問い合わせくださいませ。

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